旅
2016年3月14日
ハノイ4日間の旅の覚え書き
2016年3月、4日間ほどハノイに旅行に行ってきました。
母が世界遺産のハロン湾に行きたいということで企画した旅で、雑貨好きの私としてはベトナムのキッチュな雑貨を買うぞ~といさんでいった割りに、グルメツアーのようになり、美味しい物をたくさん食べて、ほんとうにどうしましょう、という感じの旅行になってしまいました…。明日からいろいろ慌ただしくなることが予想されておりまして、忘れぬうちにメモを残したいと思います。
2015年10月2日
ニューヨーク、旅のあれこれ
今回のニューヨーク視察で知った旅のTipsのメモです。
通信環境:Ready Sim+simフリータブレットで
旅行中は、T-mobileのReady SimをiPad miniのSIMフリーモデムにさして使っていました。JFK空港についたときにiPadを再起動してしばらくするとSMSが届き、アクティベーションもつつがなく進行しました。APN設定を「wholesale」に変更するだけで通信がスタートできました。(もっと面倒かと思っていました…)。
Google Mapのマイマップに行きたいところをあらかじめマッピングしておけば、現在地と行先の経路検索もスムーズに。
↑実際に旅行で使ったマップ(一部改編しています)
ただ、調子に乗ってWEBを閲覧したり音楽を聞きすぎたりしたからか、プリペイドで購入した500MBを3日で使い切ってしまいました…。イモトのwifiをバックアップに用意しておいて助かりました。いずれも地下鉄では使えないのがちょいと厳しかったですが。また、こういうものに頼りすぎると、頭の中に街の地図がなかなか描けなくて困りますね。やっぱり到着した先の紙の地図と路線図は速攻入手すべきなのだな、と思いました。(気づいて3日目に地図を買いました)
宿泊:Airbnbを使ってみた
話題のAirbnbを使ってみたところ、これが大当たり。ブルックリンのFort Greenという場所の、レイティングが高い女性ホストさんを選択。1泊7,500円。直前までチェックイン方法についての連絡がなかったのにはヒヤヒヤして、一時はキャンセルも考えたのですが、NYのホテル代は1泊2~3万円がざらで、いまさらどうしたものか…と悩んでいたところ出発の2日前に連絡が。「私はあなたが到着する時間にはいないから、角の店で鍵をピックアップしてね」と、メッセージ。ほんとうにほっとしましたが、同時に心臓には悪いな…と思いました。
2015年10月1日
World Maker Faire New York 2015 レポートとちょっとしたご報告
2015年9月26日、27日に行われたWorld Maker Faire New Yorkに遊びに行きました。
海外のMaker Faireに参加するのは2013年のサンフランシスコベイエリア、2014年の深センに続き3回目です。NYの流通小売業の最新の動向視察と絡めて、えいや!と行ってしまいました。
会場はニューヨーク郊外のクイーンズにあるNew York Hall of Science(ニューヨーク科学博物館)。
建物の中だけでなく、建物の外に大小さまざまなテントをはって、屋外でもたくさんの展示が行われています。雨が降らないことを見越してなのでしょうが、日本では考えられないな…と本当に羨ましく感じました。予定では900のMakerと、9万人の来場者、65社以上のスポンサーを見込んでいます。入場料は早割で1日37ドル(ちなみに当日券は45ドル)。日本からeventbriteで購入していきました。
会場は6つのゾーンに分かれていて、ゾーンごとにゆるやかにテーマが割り振られています。コンピュータ、ロボット、クラフト、教育、医療、ドローン、宇宙…等々。このあたりのジャンルは、日本とあまり違いがないようです。大きな違いはといえば、それぞれのゾーン1つ1つが、東京ビッグサイトのホール1つ分ぐらいの広さはあるのではないかということ。広さは日本の6倍…以上はあるような。
今回はじめてニューヨークという街を訪れてみて、町中の美術館やギャラリーの多さや、モニュメントの多さなどに、アートというものが普通に根付いている地域なのだなということを強く感じました。街を散歩していても、ちょっとしたアーティスティックな展示がそこここでゲリラ的に行われているのです。
ユニオンスクエアのそばでみかけた手作りのハト。
そんなニューヨークという土地柄か、NYのMaker Faireはほかの地域のそれと比べてもアート色が強い展示が目立ったような気がします。
オランダのアーティストさんの作品。砂で地面に文字を書きながら進んでいます。
Gamelatron。ガムランの音が心地よくて、周囲にはたくさんの人が横になっていました。
こちらはプラズマボット。ガラス管の中にプラズマが走り、音楽と一緒にゆれます。
アメリカのお家芸?巨大展示。バーニングマン系。手のひら、口から火を噴くオブジェ。中に人が乗り込んで操作できるのもかっこいい。
256台のRaspberryPiでMapReduceを可視化するプロジェクト。
プロジェクションされた顔がこちらに向けて語り掛けてきます。怖いです…。
ドローンバトルとドローンレースはDJIがスポンサーについています。司会者の煽った感じのアナウンスとか、ぶつかり合うドローンのカッコよさとか、噂には聞いていましたが、本当に華があるコーナーでした。目の前の網にドローンが思いっきり衝突してきて、観客から歓声が。びっくりしつつも楽しい。これはぜひ生で見ていただきたいです。
個人的にはプリミティブなものが好きなので、この手のひらの熱で動くエンジン機関など最高にかっこよいなと思います。またこのおじさんのドヤ顔も素敵です。
このゲームも面白そう。5つのオブジェを使って、例示された形を再現するというゲーム。数学者の方が考案されたそうです。
農業系、クラフト系もかなり多くの展示があります。クラフト系は、あまりテクノロジーというところとは関係ない人たちも出展していました。(活版印刷で作ったカードとか、手作りのアクセサリーとか)
オープンな個人用プチ温室。Arduinoで光りや水、温度をコントロールします。
いろとりどりのワッペンとか。
HEALTHのコーナーができていました。医療関連のDIYで義手やネブライザーなどがありました。
段ボールでできた恐竜。この手のモノはこどもウケがはんぱないです。「ぎゃー、だいなそーーーー♡」といいながら次々と子供が追いかけていきます。
R2-D2とこども。
一部だけSlideshareにまとめましたのでご覧くださいませ。
あ、こんなものが作れるんだ。こんなアイデアがあるんだ。きれいだ。不思議。おもしろい!かわいい!!…Maker Faireを訪れると、人間の想像力は本当に無限なのだと思わずにはいられなくなるのです。さまざまな作品に触れることで、こんなものも作りたい、あんなものも作れるんじゃないか?と自分のクリエイティビティも刺激されます。イベント会場を出るころには、ネタ帳のメモがびっしり、という感じ。わくわくするし、生きる力が湧いてくる。素晴らしいイベントなんだな。関わることができてよかったな、と思いました。
最後にご報告です。2015年9月末日で株式会社オライリー・ジャパン Maker Faire Tokyo の事務局としての業務契約を終了いたしました。見様見真似でスタートしたスポンサー担当、広報担当の仕事でしたが、多くの人に支えていただいて、なんとかお役目を全うすることができました。Maker Confernce Tokyo 2012からお手伝いをはじめて、3年半という短い期間でしたが、ものすごい勢いで成長していくイベントに内側から携わることができたのは、私にとって大きな財産になりました。チャンスを与えてくれたオライリーさんには感謝の気持ちしかありません。また、力が足りない私を、あたたかく見守ってくださったスポンサー企業の方、メディアの皆さま、運営スタッフのみなさん、Makerのみなさんにも心からお礼申し上げ下ます。
本年2月に自分の会社、株式会社プレーンテキストを立ち上げました。小さな会社ではありますが、ことばの力やシステムの力で、少しでもよい社会作りに貢献することをミッションに掲げており、そちらで企画、編集、執筆、マーケティング支援、システム構築支援業を中心に取り組んでいる次第です。お仕事などご一緒することがありましたら、どうぞよろしくお願いします。
2015年3月16日
高松視察旅 食とこんぴらさん
視察旅行の間に高松をつらつらと歩きました。
朝からうどん。
何の気なしに入ったお店のうどんがおいしい。大根おろしの甘味と、レモンのすっぱさ、ネギのピリッとした触感が、コシのある麺に良い感じで寄り添っていて、今まで食べていたうどんとは違う食べ物を食べているようでした。以前から薄々感じていたのですが、西日本の食生活には「甘み」が織り込まれているのだなと確信を持ちました。(東北地方の食べ物にはあまり味に甘みを入れない傾向があるように思います)
2013年9月21日
北海道、食べたもの記録
北海道で食べたものとか。
夜は北海道オープンソースコミュニティーの元締(?)LOCALの母と呼ばれるkuppiさんのおすすめの石鍋亭へ。
ジンギスカンともつ鍋、どちらも食べましたが、激ウマでした。特にもつ鍋を食べた後のトロロおじやという
一品が最高!
2013年3月18日
旅のお土産
私がわざわざ海外に行ってまで持ち帰りたいと思うのは、日本で自分たちがやっていることに対する、「俯瞰した視点」に他ならない。
*旅で得るもの
国内で仕事に溺れていると、つい独りよがりになりがちだが、海外で自分がやっていることと似たことをしている人の姿を見ると、「なるほどこんな構造で自分たちは動いているのか(動かされているのか)」だとか、「この国はここが進んでいて、日本はここが遅れている」だとか、そういうことをなんというか、俯瞰した目で見られる。
ここ数年、インドやら北京やらに遊びに行っているのだけれど、この度台湾にも遊びにいって、本当にいろいろ考えさせられた。
海外で、その国以外の外資系企業の看板を目にすると、海外の企業によってその国独自の文化・生活が、徐々に浸食されていることを、複雑な気持ちで感じてしまう。
インドに行ったとき、至る所でコカ・コーラのロゴマークを目にした。インドには、トラックを手書きで装飾するという文化があるのだけれど、それとよく似た手書きの看板で、幹線道路沿いの施設の至る所にコカ・コーラのロゴが描かれているのだ。
インドにはLimcaという現地なりの炭酸飲料があるのだけれども、じわじわと、コカ・コーラがロゴマークでインドのLimca文化を上書きしようとしているように見えて仕方がないのである。
(注:後で調べたところ、Limcaははじめはインドのローカルブランドでしたが、現在はコカコーラに買収されたようです)
台湾で見た、外国映画のポスターにも同じような違和感を感じた。英語で書かれればシンプルなタイトルが、無理やり漢字で記載されていてフォント的にもとっても違和感。だけれども、そのポスターはこれみよがしに街の至る所に貼られている。欧米の価値観こそがあたかもかっこいいんだよ、と言わんばかりに。
どこの国でも観光ルートにはラグジュアリーブランドの店舗が軒を連ねている。台湾の観光地である101ビルの下層階はヴィトンだプラダだグッチだ…と外資系ラグジュアリーブランドのオンパレードだ。ビルのスポンサーがそもそもそういう外資系のブランドと言っていいのだろう。ビルの屋上近くの壁面にもDiorってでかでかと書いてあった。この国の文化はどこへ?旅行者に訴えるべきは自国の文化ではないの?
欧米から伝わってくる文化を自分たちなりに解釈して展開するアジアの私たち。自分の国で、自国なりに工夫を凝らして拡大しようとするわけだけれども、それは単なる物まねに過ぎないのではないか?という疑問がぐるぐると頭の中を回ってしまう。そもそもオリジナルなものってなんなのだろうか。欧米の作ったフレームワークの中で踊らされているだけに過ぎないのではないか。そんなことを自問自答しながら、それでも正しいと思うものを広げる。使命感と歯がゆさ。それを意識しながら、それでも進んでいく。
*平らな社会に
もちろん私が垣間見る外国なんて観光地ばかりで、日本でいえば六本木とか、浅草とか、一般人の生活とは切り離された場所であるのに違いない。一本路地裏に入れば、その国の中ではあたりまえの生活が、つつましい毎日が、繰り返されているはずだ(と思いたい)。道端でテーブルを出して朝食を楽しむ人たち。夜の市場の活気。お寺で熱心に祈る人。当たり前の生活がそんなところにあるのだと思う。
すべての国が快適になって、平準化されてしまって、西洋の価値観の模倣品になってしまったら悲しいなと思う。グローバル化というものに、私はいいようもない寒々としたものを感じる。国の、文化の、生活の、多様性を守るには、私たちの古来の文化を守るには、どうすればよいのか。(外資の進出を原則禁止している、インドのような国は、私は懸命だと感じている。それだけが解でもないのだろうけれども、大半の人がサリーやパンジャビスーツなどの、独自の文化を身にまとっている姿からは、自国の文化を本当に大切にしている(いや、それを着ている本人たちがどう思っているのかはわからないけれど)のだという意思がひしひしと伝わってきた)
一方で、グローバル企業の圧倒的な生産性を利用することによって、生活がよりよくなることも事実としてはあるわけで。これまた難しい。
前職で、ある地域の有機農業の支援を行っていた。有機農業の新規就農支援を行うというもので、会社で畑を借りて、耕作放棄地で、米作りイベントを行うというものだ。
そのイベントに、日頃大変お世話になっている、某製粉会社の役員のおじ様に、参加していただいたのだが、彼が、団塊世代の持ち前の議論好きを発揮して(?)、有機農業の支援をしている女性に「有機農業で世界の飢餓問題が救えるか?」という議論をふっかけた。場を企画した私はかなり肝が冷えた。有機農業は、持続可能な農業にもつながるのかもしれない。だけれども、それが救えるのはごくわずかな人たちにすぎない。今地球の裏側で、貧困にあえいでいる人には、大量生産、大量消費のインフラを、無理やりにでも適用しなければ、明日の命が救えない可能性だってあるのだ。
「我々」とはどこまでのことを指すのか。「我々」が指し示すものは、ある一部の地域だけなのか。そして、「我々」とは、現代の私たちのことだけなのか?想像もしえない、未来の人類のことまでを指すべきなのか。そんな問題に私たちは直面している。
*インフラになるということ、それを見守ること
台湾のホテルのレストランで、朝食をとりながら、その目の前を流れる淡水という川を眺めていた。延々と高速道路を車が走っている。日本でも、インドでも、ヨーロッパでも、アメリカでも、車、バイク、道路、交通ルール…そのインフラはいつのまにかしっかりと定着した。戦後、たった数十年で、車は世界的なインフラになった。そのために、道路がアスファルト化され、いたるところにガソリンスタンドができ、ディーラーが車を供給している。そのインフラを作るのに、どれだけの労力が割かれたのだろう。企業はどんな努力をしたのだろう。気が遠くなる。
今では、車以外にも、当然なくてはならないインフラがたくさんある。電気、ガス、水道、携帯電話、食品流通、交通網、メディア…。きっとインターネットも、次のインフラになりうるものなんだろう。そしてそのインフラが、誰にどのような恩恵を与えるのかというのは、一部の国の国策であったり、企業の思惑によって、大きく左右されるに違いなくて。
少なくとも私は、私と、身近な人たちの暮らしを、生活を、つつがなく進めるために、ともすると横暴になりがちな企業の言い分を見守り、国の行く末を(いや、国という存在だって幻想でしかないのだけれども)きちんと把握していく必要があるのだな、と思う。もしも、自分の求める方向に、世の中が動かないのであれば、自分たちで新しい生き方を生み出すしかないのかもしれない。そのために自分たちができることは、最低限のインフラにかかる技術を知っておくべきことなのではないかと思う。
*任せ切りにしない生き方
なんとなくの直感で、私が今仕事で携わっている運動は、いろいろな閉塞に対する回答を指し示しているような気がしている。仕組みを知ること、hackすること、新しい仕組みを生み出すこと、その技術を身に付けること、仲間を作ること、そんな価値観を包有している考え方なんじゃなかろうか。これは、私が従来から考えていた問題意識と、思いもかけずリンクしていた。
規模の拡大を目指すわけではない。自分自身の身の回りのものは、自給自足ができるような技術を取り戻そう、そんな運動、と私は理解している。「Made by Hand」という本が、私は本当に大好きで、できることならこんな生活を、と夢想している。私たちが近代化の中で失った生活や毎日に関わる知識や技術を、再び共有して、身に付けなおす、この先の新しい時代を生み出すためには、こういう地道な活動しかないのだと思う。そして、それを次の世代に伝承していくこと。コミュニティで共有すること。そのお手伝いをすることができればうれしく思う。
誰かに任せきりにしていた生活を、毎日を、仕事を、きちんと取り戻す、そういう考えを伝え、知識を言葉にすることが、私の仕事なのだと思う。そう信じて、今は求められる役割を果たしている日々。
また結局、自分の元に話を持ってきてしまったけど。これほどかように、旅は人の頭を活性化するのだ、ということで。
(むちゃくちゃな論旨の文章でお恥ずかしい限りなのですが、この4、5年、いろいろありまして、思うように文章が書けなくなってしまったので、久々に自分の長文が書けたことを、とても嬉しく思っています)
2012年3月1日
名古屋、ぶらり途中下車ができない旅
名古屋をふらりと旅した記録。
今回は時間もあることなので「どれだけお金をかけずに楽しく旅行ができるか」を目標にしてみました。
もう少し待てば「青春18きっぷ」もあるのだけれども、
今回はあえて「ぷらっとこだま」+「ゲストハウス」+「高速バス」の旅に挑戦。