2013-03

2013年3月18日
旅のお土産

私がわざわざ海外に行ってまで持ち帰りたいと思うのは、日本で自分たちがやっていることに対する、「俯瞰した視点」に他ならない。

*旅で得るもの

国内で仕事に溺れていると、つい独りよがりになりがちだが、海外で自分がやっていることと似たことをしている人の姿を見ると、「なるほどこんな構造で自分たちは動いているのか(動かされているのか)」だとか、「この国はここが進んでいて、日本はここが遅れている」だとか、そういうことをなんというか、俯瞰した目で見られる。

ここ数年、インドやら北京やらに遊びに行っているのだけれど、この度台湾にも遊びにいって、本当にいろいろ考えさせられた。

海外で、その国以外の外資系企業の看板を目にすると、海外の企業によってその国独自の文化・生活が、徐々に浸食されていることを、複雑な気持ちで感じてしまう。

インドに行ったとき、至る所でコカ・コーラのロゴマークを目にした。インドには、トラックを手書きで装飾するという文化があるのだけれど、それとよく似た手書きの看板で、幹線道路沿いの施設の至る所にコカ・コーラのロゴが描かれているのだ。

インドにはLimcaという現地なりの炭酸飲料があるのだけれども、じわじわと、コカ・コーラがロゴマークでインドのLimca文化を上書きしようとしているように見えて仕方がないのである。

(注:後で調べたところ、Limcaははじめはインドのローカルブランドでしたが、現在はコカコーラに買収されたようです)

台湾で見た、外国映画のポスターにも同じような違和感を感じた。英語で書かれればシンプルなタイトルが、無理やり漢字で記載されていてフォント的にもとっても違和感。だけれども、そのポスターはこれみよがしに街の至る所に貼られている。欧米の価値観こそがあたかもかっこいいんだよ、と言わんばかりに。

どこの国でも観光ルートにはラグジュアリーブランドの店舗が軒を連ねている。台湾の観光地である101ビルの下層階はヴィトンだプラダだグッチだ…と外資系ラグジュアリーブランドのオンパレードだ。ビルのスポンサーがそもそもそういう外資系のブランドと言っていいのだろう。ビルの屋上近くの壁面にもDiorってでかでかと書いてあった。この国の文化はどこへ?旅行者に訴えるべきは自国の文化ではないの?

欧米から伝わってくる文化を自分たちなりに解釈して展開するアジアの私たち。自分の国で、自国なりに工夫を凝らして拡大しようとするわけだけれども、それは単なる物まねに過ぎないのではないか?という疑問がぐるぐると頭の中を回ってしまう。そもそもオリジナルなものってなんなのだろうか。欧米の作ったフレームワークの中で踊らされているだけに過ぎないのではないか。そんなことを自問自答しながら、それでも正しいと思うものを広げる。使命感と歯がゆさ。それを意識しながら、それでも進んでいく。

*平らな社会に

もちろん私が垣間見る外国なんて観光地ばかりで、日本でいえば六本木とか、浅草とか、一般人の生活とは切り離された場所であるのに違いない。一本路地裏に入れば、その国の中ではあたりまえの生活が、つつましい毎日が、繰り返されているはずだ(と思いたい)。道端でテーブルを出して朝食を楽しむ人たち。夜の市場の活気。お寺で熱心に祈る人。当たり前の生活がそんなところにあるのだと思う。

すべての国が快適になって、平準化されてしまって、西洋の価値観の模倣品になってしまったら悲しいなと思う。グローバル化というものに、私はいいようもない寒々としたものを感じる。国の、文化の、生活の、多様性を守るには、私たちの古来の文化を守るには、どうすればよいのか。(外資の進出を原則禁止している、インドのような国は、私は懸命だと感じている。それだけが解でもないのだろうけれども、大半の人がサリーやパンジャビスーツなどの、独自の文化を身にまとっている姿からは、自国の文化を本当に大切にしている(いや、それを着ている本人たちがどう思っているのかはわからないけれど)のだという意思がひしひしと伝わってきた)

一方で、グローバル企業の圧倒的な生産性を利用することによって、生活がよりよくなることも事実としてはあるわけで。これまた難しい。

前職で、ある地域の有機農業の支援を行っていた。有機農業の新規就農支援を行うというもので、会社で畑を借りて、耕作放棄地で、米作りイベントを行うというものだ。

そのイベントに、日頃大変お世話になっている、某製粉会社の役員のおじ様に、参加していただいたのだが、彼が、団塊世代の持ち前の議論好きを発揮して(?)、有機農業の支援をしている女性に「有機農業で世界の飢餓問題が救えるか?」という議論をふっかけた。場を企画した私はかなり肝が冷えた。有機農業は、持続可能な農業にもつながるのかもしれない。だけれども、それが救えるのはごくわずかな人たちにすぎない。今地球の裏側で、貧困にあえいでいる人には、大量生産、大量消費のインフラを、無理やりにでも適用しなければ、明日の命が救えない可能性だってあるのだ。

「我々」とはどこまでのことを指すのか。「我々」が指し示すものは、ある一部の地域だけなのか。そして、「我々」とは、現代の私たちのことだけなのか?想像もしえない、未来の人類のことまでを指すべきなのか。そんな問題に私たちは直面している。

*インフラになるということ、それを見守ること

台湾のホテルのレストランで、朝食をとりながら、その目の前を流れる淡水という川を眺めていた。延々と高速道路を車が走っている。日本でも、インドでも、ヨーロッパでも、アメリカでも、車、バイク、道路、交通ルール…そのインフラはいつのまにかしっかりと定着した。戦後、たった数十年で、車は世界的なインフラになった。そのために、道路がアスファルト化され、いたるところにガソリンスタンドができ、ディーラーが車を供給している。そのインフラを作るのに、どれだけの労力が割かれたのだろう。企業はどんな努力をしたのだろう。気が遠くなる。

今では、車以外にも、当然なくてはならないインフラがたくさんある。電気、ガス、水道、携帯電話、食品流通、交通網、メディア…。きっとインターネットも、次のインフラになりうるものなんだろう。そしてそのインフラが、誰にどのような恩恵を与えるのかというのは、一部の国の国策であったり、企業の思惑によって、大きく左右されるに違いなくて。

少なくとも私は、私と、身近な人たちの暮らしを、生活を、つつがなく進めるために、ともすると横暴になりがちな企業の言い分を見守り、国の行く末を(いや、国という存在だって幻想でしかないのだけれども)きちんと把握していく必要があるのだな、と思う。もしも、自分の求める方向に、世の中が動かないのであれば、自分たちで新しい生き方を生み出すしかないのかもしれない。そのために自分たちができることは、最低限のインフラにかかる技術を知っておくべきことなのではないかと思う。

 

*任せ切りにしない生き方

なんとなくの直感で、私が今仕事で携わっている運動は、いろいろな閉塞に対する回答を指し示しているような気がしている。仕組みを知ること、hackすること、新しい仕組みを生み出すこと、その技術を身に付けること、仲間を作ること、そんな価値観を包有している考え方なんじゃなかろうか。これは、私が従来から考えていた問題意識と、思いもかけずリンクしていた。

規模の拡大を目指すわけではない。自分自身の身の回りのものは、自給自足ができるような技術を取り戻そう、そんな運動、と私は理解している。「Made by Hand」という本が、私は本当に大好きで、できることならこんな生活を、と夢想している。私たちが近代化の中で失った生活や毎日に関わる知識や技術を、再び共有して、身に付けなおす、この先の新しい時代を生み出すためには、こういう地道な活動しかないのだと思う。そして、それを次の世代に伝承していくこと。コミュニティで共有すること。そのお手伝いをすることができればうれしく思う。

誰かに任せきりにしていた生活を、毎日を、仕事を、きちんと取り戻す、そういう考えを伝え、知識を言葉にすることが、私の仕事なのだと思う。そう信じて、今は求められる役割を果たしている日々。

また結局、自分の元に話を持ってきてしまったけど。これほどかように、旅は人の頭を活性化するのだ、ということで。

(むちゃくちゃな論旨の文章でお恥ずかしい限りなのですが、この4、5年、いろいろありまして、思うように文章が書けなくなってしまったので、久々に自分の長文が書けたことを、とても嬉しく思っています)

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